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重度障がいの子どもと一緒におでかけしよう!<おでかけ療育協会>

広島県広島市で「おでかけ療育」の活動をされている加藤啓吾さん。
発達障がいの特性で、なかなか社会に馴染めないお子さんの療育をサポートされています。

特に、自閉スペクトラム症や注意欠如・多動症の症状が強く出ている時には、家族でお出かけするのも大変な時がありますよね。
周囲の人の目が気になったり、迷惑を実際かけてしまって謝ってばかりだったり…
お子さんもお父さん、お母さんもしんどいことが多いかと思います。

それでも、外に出かけないで過ごすわけにはいきませんよね。
一緒に買い物もいきたいし、公園にも遊園地にも行きたい。
でも、親子だけでは勇気が出ない。
そんな親子のサポートが加藤さんの活動です。

加藤さんにもツライ体験がありました。
その体験を言葉にしていただいたので、ご紹介したいと思います。

「地域社会で生きる」重度障がいの子どもに、当たり前を感じてほしい

僕の人生の歯車が最初に軋み始めたのは20歳の頃です。
強迫神経障害の症状が出始めました。
この障害は、きわめて強い不安感や不快感(強迫観念)を持つために、それを打ち消すための行為(強迫行為)を繰り返す症状がでます。

そんな自分の心のコントロールを失いかけていた26歳の時、母が交通事故に遭いました。
九死に一生を得たものの、その日から24時間365日の介護が始まったのです。
昼夜逆転の生活から介護ノイローゼになり、僕自身の強迫神経障害の症状も悪化、ついには自殺未遂を引き起こし九州の大学病院に入院しました。
約20年後、母は他界しました。

入院といっても体は普通に動きます。
運動不足解消も兼ねて僕ら入院患者を歩かせたかった病院側は、散歩の時間を作ってくれました。

散歩といってもおひさまの下で外を歩くわけではありません。
夕食が終わった消灯後、病院内の同じコースの廊下をひたすら周回するだけです。
真っ暗な廊下をただ歩くだけの散歩は、ご想像の通り全く楽しくありません。
僕は「建物の外に出たい」と看護師さんにお願いしました。

やっと許可が出たものの、そこは病院の敷地内。
外といっても病院の建物しか見えません。
仕方なく下を向いた時、目に入ったのは名前も知らない雑草です。
それでも僕は病院以外のものを見ていることに少しだけ気が安らぎました。

ですが、そんな小さな幸せを得たのもつかの間、ほんのちょっと病棟に戻るのに遅刻しただけで激怒され、
まるで実験動物か何かのような扱いを受けました。

「僕は人間なんだ」
という当たり前のことすらかき消されるような入院生活はあまりにも苦しく、次第に自殺を考え始めました。

この経験から、僕は建物の中だけの治療は今でも大嫌いです。

症状が悪化したため、知り合いのつてを頼って大分の個人病院に転院しました。
前の病院と違い、そこでは院長が患者と一緒に卓球したり、患者同士で花札をしていました。

ある日みんなで散歩に出かけました。
以前のような敷地内ではなく、昼間太陽の下で病院が見えない山の中へ連れ出してくれたんです。
もちろん看護師さんたちも一緒にですが、監視員のようにピタッとそばにくっつくこともなく、軍隊のように一列に並べさせられることもなく、一人ひとりが自由に歩きました。

僕らのことを信じてくれているんだ
無言で自己責任と自立を促してくれてるんだ

そのように感じたことを今でも覚えています。

散歩の記念というわけではないですが、僕は山の植物を摘んで帰り、それをスケッチするようになりました。

入院してしばらく経った頃、僕たちに外出許可が出ました。

仲良しの患者さんとだけで病院という箱物から出られる

僕らだけで地域社会に出られることがとても嬉しく、大げさでなく幸せを感じました。

僕らは病院近くの商店街の100円ショップに行きました。
そこで僕が買ったものは小さな植木鉢です。
帰ってから、僕は山での散歩で採ってきた小さな可愛い草花を植えました。

草花に水をあげる
それをスケッチする

ただそれだけのことですが、僕は散歩がより楽しいものに感じたんです。
あの頃の僕にとって、おでかけは幸せの連鎖でした。

前の病院の頃より随分状態も良くなりはしましたが、先生から
「完治はしない、
上手く付き合って生きていくしかない」
と言われました。

こうなったら自分との真っ向勝負です。
いい意味で僕は強制退院しました。

社会の中で、人間として普通のことができて普通に暮らせる

それだけで幸せでありがたかったです。
だって僕は人間として絶対に必要なものが何かわかっているのだから。

それから高齢者介護の仕事につきましたが、しばらくすると障がいのある子どもの支援に切り替えたくなりました。
初めて重度の自閉症の子供たちを目にした時、僕自身の強迫神経障害の症状とあまりにもそっくりな部分がありびっくりしました。
自閉っ子の行動の一部が自分と重なったんです。
この子たちのことが可愛くて仕方なかった。

訓練づくめのこの子たちだって、お外で伸び伸びしたいんじゃないか。
もっと外に出かけていくのは、この子たちにとってもいいことじゃないのか。

そう強く感じるようになり、今では確信に変わっています。

僕は、発達障がい・自閉症など、すべての知識と専門性があるわけではありませんが、ただ一つ言えることは自閉症と強迫神経障害は紙一重の部分があります。

僕自身が入院中、100円ショップで買い物した時に感じたこれまでにない幸福感。

これらがこの子たちと地域社会へ出かけたいと僕を動かすんだと思います。止まらないんです。

ただ一つ願うことは「この地域は当たり前の居場所の一つなんだよ」ということを体から染み込ませてあげたい・・・

その想いだけで僕はこの「一般社団法人 おでかけ療育協会」を立ち上げました。

障がいを持つ子どもたちがおでかけしづらい今の日本の空気を変える

これは協会の目標ですが、僕自身の使命だと思っています。

このことをブログで発信し続け、今では少しずつですが賛同される保護者の方から連絡をいただくようになりました。
この輪を全国に広げ、いつか地域に根ざしたおでかけ療育が普及することを願っています。

【参考詳細ブログ】
より詳細の文面はブログにてカミングアウトしましたが
長文になりすぎるのでまとめています。
900話 「おでかけの原点…その1
902話 「おでかけの原点…その2
903話 「おでかけの原点…その3
904話 「おでかけの原点…その4(最終話)

一般社団法人おでかけ療育協会

 

Profile
運営者/編集者/ライター at 株式会社みのりの森

株式会社みのりの森 代表取締役
NPO法人Reframe 代表理事
凸凹じぶんなび とことこ 製作者/運営者/編集長/ライター
発達障がい専門誌きらり。 発行者/編集長/ライター
発達障害(ASD/ADHD)当事者
双極性障害当事者
発達障害の支援を中心に、会社を経営。
NPOでは不登校、発達障害、HSPなどの生きづらさを抱えた子どもと若者の居場所づくりをしている。

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