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私らしい生き方

こんにちは。今回、「私らしい生き方」というテーマでエッセイを執筆いたします。梅野翔太です。よろしくお願いします。

現在、福岡県久留米市に住んでおり、大手インテリア雑貨・家具販売店の障がい者枠で勤務しています。そして、ライターと動画編集を副業でやっております。2017年から働き始めて、今年の7月で自己最長の3年半の職歴を形成しました。今回のエッセイでは、私の大学卒業から現在に至るまでの話と働き方に関する価値観について、お話していきます。

地獄だっ新卒社会人時代

私は2015年3月に大学を卒業しました。
卒業後の4月からは、旅行会社への就職が決まっており、社会に出ることへの期待と不安を抱えながらも、楽しみにしていました。
しかし、現実はとても厳しくつらいものでした。

仕事を覚えて、少しでも会社の役に立ちたいと思い、メモをしっかり取ったりしていましたが物覚えが悪く、優先順位がつけられないなど失敗が続き、怒られてばかりでした。そして、人間関係も悪くなり、「会社に行きたくない」と動悸(どうき)が起きるようになったのを覚えています。そして、限界を感じ退職を決意。わずか1ヶ月で退職することになりました。
あの時は、本当に悔しくて悲しくて未来への絶望しかなかったです。

退職後、メンタルクリニックを探して通院してみることを決意。
そこで私は発達障がいと診断されました。診断された後は、これまでの生きづらさの正体が分かってホッとしました。そして、これからの未来をどう生きていけばいいのかという不安も同時に出てきました。

就労移行支援事業所への通所

5月から就労移行支援事業所に通所することにしました。就労移行支援事業所ではパソコンを使ったトレーニングや障がい者雇用に関する座学など、さまざまな訓練を受けました。そして、就労移行支援事業所に通い始めて5ヶ月後の10月に、サービス業に就職することが出来ました。
しかし、それでも上手くいきませんでした。

頑張る気力もなくなってしまい、絶望してしまった私は、11月からは抑うつ状態の治療に専念することに決めました。療養中は、将来の希望も感じられず死にたい気持ちでいっぱいだったのを今でも覚えています。

訓練と仕事でチャレンジ精神が身についた

現在も、採用された会社で働いています。会社での仕事を毎日淡々(たんたん)とこなしており、あの頃よりも今が楽しいし、生きている感じがして充実しています。
それと同時に副業でライターや動画編集など、さまざまなことにチャレンジするようになりました。こうやってチャレンジ精神が身についたのも、就労移行支援事業所での訓練のおかげです。

コロナウイルスで大変な時期ではありますが、世の中の流れに負けずに、これからも頑張っていきます。

寄稿者  梅野翔太

Profile
運営者/編集者/ライター at 株式会社みのりの森

株式会社みのりの森 代表取締役
NPO法人Reframe 代表理事
凸凹じぶんなび とことこ 製作者/運営者/編集長/ライター
発達障がい専門誌きらり。 発行者/編集長/ライター
発達障害(ASD/ADHD)当事者
双極性障害当事者
発達障害の支援を中心に、会社を経営。
NPOでは不登校、発達障害、HSPなどの生きづらさを抱えた子どもと若者の居場所づくりをしている。

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